日々凶日

世の中を疎んでいる人間が世迷言を吐きつづけるブログです

『ヨルムンガンド』と見果てぬ夢

ボーイミーツガールからの脱線

―――僕は、武器商人と旅をした。

 『ヨルムンガンド』は、上記の台詞が露骨に示しているように典型的なボーイミーツガールものである。少年兵ヨナは、武器商人ココとそのファミリーたちとの出会いから人間的に成長していく。ジブリ作品の本質がその執念深いレベルまでの日常描写だったのにたいし、この作品の本質はまさしくこの核にある。戦闘も、武器も、味の濃い敵たちもすべて、少年兵ヨナと武器商人ココの人間的成長を強調するためのスパイスに過ぎないのだ。

 しかし、この作品は後半から急速に脱線していく。話の筋は少年兵ヨナと武器商人ココから、世界とココに移っていく。それはココの本質に関わるものだからだ。

夢追い人ココ

dasun-2020.hatenablog.com

  ココはINTJである。彼女には世界が見えすぎる。しかも、先が見えてしまう。INTJの主機能は内向直観(Ni)である。内向直観は物事のまだ見えないつながりを何となく見抜き、その世界の本質を垣間見てしまうものだ。それを外向思考(Te)という補助機能が補佐するものだから、世界のルールに基づいた形でそれが見えてしまう。そうなった人間は、それで見えた世界の実現に奔走する。

 例えば、『メイドインアビス』の黎明卿ボンドルドはまだ見果てぬ深淵に人類の希望を見出し、その実現のために多くの子どもたち、同志、果てには自分自身でさえ犠牲にした。ニーチェは自らの言語的なセンスを信じて、来たるべき新人類を「超人」として霊感的に描写した。マルクスは『資本論』という現代の経済学の根本になっている著書を書き上げ、同志たちとともに「労働者による理想社会」の実現のために奔走した。霊感的に見えた未来、それの実現のために理性をもって暴走するのがINTJの性である。

 ココは変らぬ世界、そして武器商人という穢れた世界に辟易としていた。普通ならば、私の大学の先輩のように、吉良吉影のごとく平穏に生き延びることを選択しただろう(その典型例が後半での対立相手になるブックマンそのもの)。しかし、彼女はヨナに出会ってしまった。戦争という実態の究極に触れ、それに歪められたような少年。しかし、彼は兄弟たちを見捨てることなく、自らを犠牲にすることを選択している。その時、彼女には見えてしまった、人が大事なものを失わんとするために平和を模索する未来が

ヨナの未来のために暴走するココ

 彼女はその時、人々から「空」を奪うことを決断したのだろう。それ以後の行動はまさに加速主義的なものである。

 そもそも、加速主義の提唱者ニック・ランド自体もおそらくINTJである。加速主義とは、袋小路に入り込んでしまった人類、資本主義を救うために、むしろ資本主義の自己破壊作用を極限まで利用するという立場である。技術革新を進め、資本化を進めることによって、人類の枷を破壊する。具体的にいえば、遺伝子操作技術をもって人種間の壁を破壊し、グローバル化を推し進めることで企業、個人を制御していた国家を破壊する。競争を極限まで進め、その毒をもって競争そのものを無効化する。そして、その先には、ニーチェ的な超人が誕生し、この世界を逸脱して人類に新しい次元をもたらすのである

 彼女は、自らの資本力をもって世界最高峰の電子工学者等を次々と拉致し、量子コンピュータというおもちゃを与える。学者連中は基本、自分の研究さえできていれば満足なので、そのままどんどん技術革新を推し進める。そして、完成したヨルムンガンドシステム(量子コンピュータと衛星監視システムの総称)は世界の情報すべてを支配する。米軍の情報部を愚弄し、彼女を篭絡させようとしていたブックマンを逆に篭絡させてしまう。彼女は情報を支配することを通じて、世界から逸脱しようとしのだ。彼女は実に加速主義的な人物なのである。

 実は、彼女にとって「空を奪うこと」、70万人の死者を出すことは畜群に支配を宣言することのデモンストレーションにすぎない。大事なのは、「いつ如何なる時もあなたの命を奪うことができる」というメッセージなのである。超人となった者は死んだ神の座に就く。そのことによって、戦争を指導しようとする連中を目覚めさせることが目的なのである。

反逆者たち

 しかし、彼女の計画は早期に破綻することが目に見えている。人は塀を目の前に造られるとそれを乗り越えたくなる。マルクス主義が造り上げたベルリンの壁はベルリン市民によって壊され、ニーチェが提唱した超人の概念はナチスを産み、ナチスは連合国の物量の前に滅ぼされた。INTJたちには残念だが、彼らの見果てぬ夢は一般人には重すぎるのである。

 ココも計画の完成間際からしっぺ返しを食らっている。

 この計画をキャスパー(ココの実兄)に話したときには、「飛行機が売れなくなったら、戦車を、戦車が売れなくなったら……」とどこまでも一般人の欲望は途切れない話をされる。キャスパーはENTJであり、何よりも現実のロジックを重視する。そのために、彼には超人の造り上げた秩序をどのようにすれば、凡人の欲望をもって破壊できるかが分かってしまうのだ。

 これは予想通りだったと思うが、ヨナにこの計画は拒絶されてしまう。彼女が愛玩し、何よりも救済対象として見なした人物は美しくも危うい世界を受け入れることはできなった。ココは人間の強度を見誤った。人間はココほどに絶望はしていないし、ココほどに強くはないのである。そして、何よりも他者を信頼しているのである。そんな他者の入らない世界をヨナは認めることができなかった

 ココは拒絶された瞬間、びっくりはするが、それを受けいてしまう。ここまで反発が来ること自体、織り込み済みだったのだろう。しかし、同じ人間が分からないISTPから言わせてもられば、「もうそれがダメ」なのである。そもそも、誰かを救いたいシステムならば、その誰かが受け入れるシステムじゃなきゃ意味がないだろう。ここでココとヨナは決定的に決別する。

もう一度、ヨナは武器商人と旅をする

 ここで終われば、イカロスの神話と同じである。この話がどこまで行ってもボーイミーツガールものであるのは、ここからである。この後、ココは全知全能ともいえる権能をもって、世界を支配するための計画を推し進めていく。ココは良くも悪くも変わらないし、変われない。

 しかし、ヨナはその後、キャスパーのもとに身を寄せる。そして、キャスパーのもとでようやく愛玩物から対等な個人としての地位を手に入れ、個人として成長していく。チェキータはESTPだが、彼女はヨナの教師、庇護者としては適任だった。彼を優しくも厳しくしつけていくことで一人前の男にしていくのである。

 そして、最後、キャスパーはヨナを一人前の大人として認める。これは愛玩物としてしか見ることのできなかったココには出来ないことであった。それが故に、彼の「ココのもとに戻る」という意志を認め、あえて対立するのである(チェキータは子離れできない母親のように悔しがるのがまた面白いシーンである)。

 彼は最後に、一人前の大人(他者)として対等の地位でココに対峙する。ココはそれすらもすべて分かったうえで受け入れる。だからこそのあのラストシーンなのである。少年兵ヨナは、武器商人と旅をした。そして、ヨナ個人もまた武器商人と旅をしていくのである。

余談:ISTP的ヨルムンガンドの感想

 まず、世界を完全支配するというシステムなんて持つわけないというのが素直な感想である。人間(正確にはISTPなのだろうが)は塀を見たら、登りたくなる。規制を布かれたら、気づかれないように破りたくなる。タスクがあれば、解消したくなる。ココのシステム(同時にマルクス主義ニーチェ思想、新反動主義)には、人間がいない。人間がいないシステムは人間に壊されるのがお似合いである。

 話の筋としては、まあ無難なボーイミーツガールものだよね。好き。それに狂人の暴走を加えることで話に多重性を与えるあたり最高。人間ドラマって甘ったるいものばかりじゃねえぞってのが示されてていい。まあ、登場人物の大多数がSTPとNTJしかいなくて殺伐としてるけどね。

 ココは可哀想な人なのである。バルメはココの崇拝者だし、レームは煽るだけ煽るタイプのおっさんだし、他の人たちも家のなかで花火をぶっぱなすようなことを嬉々としてやる連中だから、対等なのも止める良識ある大人もいない。対等に対峙するブックマンも同じINTJであるがために、やさしい世界を見せられたらあっという間に篭絡させられちゃった。物語後のココが心配。ヨナは大人になったけど、彼は世界大衆がなんていうタイプじゃないからね。