日々凶日

世の中を疎んでいる人間が世迷言を吐きつづけるブログです

解釈が最高に一致した話

「禁止」の内在化=教育

 私は2009年からいろいろなボカロ曲を聴いているが、そのなかでもこの歌詞の意味は深いなあと思った曲がある。『ビターチョコデコレーション』である。


【初音ミク】ビターチョコデコレーション【syudou】

 この曲の解釈自体は著者が言明していないので、視聴者諸君に任せる。私の解釈は「教育」を歌った曲である。そのように感じた理由は下記の歌詞にある。

人を過度に信じないように 
愛さないように期待しないように 
かと言ってが立たないように 
気取らぬように目立たぬように

 

誰一人傷つけぬように 
虐めぬように殺さぬように 
かと言って偽善がバレないように 
威張らないように

 

軽いジョークやリップサービスも忘れぬように 
どんな時も笑って愛嬌振りまくように

 

ビターチョコデコレーション 
兎角言わずにたんと 
召し上がれ 
ビターチョコデコレーション 
食わず嫌いはちゃんと直さなきゃ

 

頭空っぽその後に残る心が本物なら 
きっと君だって同じ事 
「ところで一つ伺いますが 
 先日何処かで?…やっぱいいや」



無駄に自我を晒さぬように 
話さぬように分からぬように 
でも絶対口を閉ざさぬように   
笑わすより笑われるように

 

人をちゃんと敬うように       
めるように讃えるように     
でも決して嫌味にならないように 
ふざけないように

 

集団参加の終身刑 
またへーこらへーこら言っちゃって 
「あれっ、前髪ちょーぜつさいきょーじゃん!」 
とかどーでもいーのに言っちゃって 
毎朝毎晩もう限界 
宗教的社会の集団リンチ

 

でも決して発狂しないように

 

ビターチョコデコレーション 
時に孤独な愛は 
君を汚す 
ビターチョコデコレーション 
立つ鳥の後きっとのアート

 

初めはあんな大層な 
大言壮語を並べたが   
嫌よ嫌よも好きの内 
「いやはやしかし今日が初めてで 
 こんなとはね 君センスあるよ」

 

恋する季節に 
ビターチョコデコレーション 
恋する気持ちで 
ビターチョコデコレーション

 

F.U.C.K.Y.O.U

 

ビターチョコデコレーション 
皆が望む理想に憧れて 
ビターチョコデコレーション 
個性や情は全部焼き払い 
ビターチョコデコレーション 
欲やエゴは殺して土に埋め 
ビターチョコデコレーション 
僕は大人にやっとなったよママ

 

明日もきっとこの先も 
地獄は続く何処までも    
嗚呼 だからどうか今だけは 
子供の頃の気持ちのままで     
一糸まとわずにやってこうぜ

 

「ああ思い出した!あんたあの時の 
 生真面目そうな…やっぱいいや」
 
初音ミクwikiから、令和2年5月9日アクセス)

最初の命令は禁止からはじまる

人を過度に信じないように 
愛さないように期待しないように 
かと言ってが立たないように 
気取らぬように目立たぬように

  どの著作で述べていたかを失念してしまったが、フーコーは社会が最初に人々に要請する命令は「禁止」であると主張した。例えば、モーセ十戒はすべて「~すること勿れ」で構成されており、仏教の戒律も神道の神社の前に掲げている「定」も禁止で構成されている。また、親が子を思って下す命令も禁止である。「危ないから、〇〇すんでない」、「〇〇するなや」と人が一種の社会的生物として生活を営むためには、禁止が必要不可欠なのである。

 この曲も1番AメロからBメロまではすべて禁止で構成されている。しかも、そのほぼすべてが幼少期に一度は周囲や親から下されるものである。

権力が内在化するということ

 無駄に自我を晒さぬように 
話さぬように分からぬように 
でも絶対口を閉ざさぬように   
笑わすより笑われるように

  2番AメロからBメロでは、それが一転する。禁止ではあるのだが、すべて自分から自分にたいして確認するように話される語に変わる。例えば、「無駄に自我を晒さぬように」というのは、外部からいえば「我を張るな」という語で表現されるべきものである。2番における発言はすべて自らを諫めるような語気の発言となっているのだ。

 このような状態こそまさにフーコーが一生を通じて批判した「権力の内在化」そのものである。自分自身が本当に感じていることはすべて無意識のうちに自己のうちに抑圧し、社会が要請していると思われるようなものへ適応する。知らず知らずのうちに、それが進行し、心が本当にそのように思っていると思わされるのである。

テーブルマナー=人間が最初に覚える規律

ビターチョコデコレーション 
兎角言わずにたんと 
召し上がれ 
ビターチョコデコレーション 
食わず嫌いはちゃんと直さなきゃ

  私たちはどのように権力を内在化するのか。それには規律が必須となる。この曲のPVでは、規律がテーブルマナーとして表されている。PV全般で食事の光景が示され、覆顔の給仕がたびたび主人公の行動を「矯正」する。

頭空っぽその後に残る心が本物なら 
きっと君だって同じ事 
「ところで一つ伺いますが 
 先日何処かで?…やっぱいいや」

 この光景はまさしく規律訓練の光景そのものである。顔をすでに覆われた人々によって、顔の見える(身体の獣性を覆えていない)人々が強制される。すべてがありのままにあるかのように自ずと矯正される。連中はフーコーの言っていたように、常に心や魂を重視し、身体を酷使し、ボロボロになった隙に心に鎖をかけていく。

 なぜ、食事なのか。食事は生物が生存活動を行ううえでもっとも根本に置かれる行為の一つ*1であり、親から子へ最初に行われる訓練だからである。

 では、規律訓練を行う奉仕者たち*2は何者か。その答えはもう出ているが、その答え合わせは最後に持ち越される。

アイデンティティ・クライシスと諦め

 集団参加の終身刑 
またへーこらへーこら言っちゃって 
「あれっ、前髪ちょーぜつさいきょーじゃん!」 
とかどーでもいーのに言っちゃって 
毎朝毎晩もう限界 
宗教的社会の集団リンチ

 

でも決して発狂しないように
 日本においては上記ような抑圧が中学時代から徐々に強化される。上記の歌詞の状況はまさしく規律の内面化が加速する中学から高校にかけてよく見られる光景である。このような行動について、まるでこれが中高生の個性の発露であると称揚する立場がある。しかし、このような行動は中高生が彼らの理屈において「素晴らしい」と思われる行動をしているだけであり、彼ら本心の行動ではない点について注意が必要である。
 つまり、この行動の意味とは、ある一種の集団における同質性の強要である。本人はそう思っていない、正しくはないと思っているが、そうであると思わねばならないのである。重要なのは、そのような状況下でも発狂してはいけないのである。「それはそうだ。」と全肯定できるのが大人である。

dasun-2020.hatenablog.com 

そして、大人になる。

ビターチョコデコレーション 
皆が望む理想に憧れて 
ビターチョコデコレーション 
個性や情は全部焼き払い 
ビターチョコデコレーション 
欲やエゴは殺して土に埋め 
ビターチョコデコレーション 
僕は大人にやっとなったよママ
 

  ラスサビまではずっとさまざまなものをどんどん放棄していく。そうやってすべてを捨てて、その代わりに禁止の命令を内在化していった先に私たちは「大人」になる。また、覆顔の給仕たちの正体がここで明かされる。「僕は大人にやっとなったよママ」が明示している。覆顔の給仕の原型とは母親であり、幼児期に下された命令そのものである。原初の命令の上にすべての規律が構築されているのである。

明日もきっとこの先も 
地獄は続く何処までも    
嗚呼 だからどうか今だけは 
子供の頃の気持ちのままで     
一糸まとわずにやってこうぜ

 そして、ここからは主人公の開き直りにも等し厭世がつづく。世の大学生のだいたいの心情吐露はこのようなものではないか。しかし、ここにおける心情吐露はまさしく中高生の頃、主人公が散々唾棄した友人たちの行動そのものである。「子どもの頃の気持ちのままで」などと嘯いているが、彼自身のなかにあるのは原初の命令から構築された規律のみであり、それに従うことが自分自身だと思い込んでいる。つまり、主人公自身が覆顔の給仕に堕ちたのである。

 「ああ思い出した!あんたあの時の 
 生真面目そうな…やっぱいいや」

  だからこそ、PVにて主人公は自分の顔を見た瞬間に、給仕の顔を思い浮かべるのである。覆顔の給仕、つまり顔のない人間は私たちが「大人」と呼ぶ何かである。

初恋の人は先生

恋する季節に 
ビターチョコデコレーション 
恋する気持ちで 
ビターチョコデコレーション

ビターチョコデコレーション 
時に孤独な愛は 
君を汚す 
ビターチョコデコレーション 
立つ鳥の後きっとのアート

 この曲の構成は意外にもラブソングである。しかし、これも世の人々の多くの初恋の相手が教師であるという点からもうなづける。また、このような歌詞はオイディプス・コンプレックスや幼児期特有の親への愛着とも取れ、教育という禁止の内在化には「愛」が必要不可欠であることがよく示されている。

 初めはあんな大層な 
大言壮語を並べたが   
嫌よ嫌よも好きの内 
「いやはやしかし今日が初めてで 
 こんなとはね 君センスあるよ」

  そして、その恋慕すらも覆顔の給仕たちは利用する。相手が自分にいい感情を持っているのをいいことに、どんどん相手を染め上げていく。しかし、その給仕たちも善意で同じようなことをされた結果なのである。ここに最高に闇がある。

ENFPをエミュレートしたISTJ、胡蝶しのぶ


【手描き】ビターこちょデコレーション【鬼滅の刃】【ネタバレ】

 ここまで解説してようやく本題に入れる。この曲のPVで解釈が最高に一致したのを今日、見つけた。それが上記の動画である。この動画はこの曲の意味合いをあえて逆転させることで、胡蝶しのぶというキャラクターの深みを表現している。

胡蝶しのぶという監督者

 胡蝶しのぶは元々、唯一の肉親である姉の胡蝶カナエを補佐する人物であった。胡蝶カナエはどこまでも享楽的で、どこまでも善人で人も鬼も信じられる人であった(理想は人と鬼が平和に暮らすこと)。それゆえにどこか狂ったところもあり、そのような狂いを指摘し、調整するのが妹である胡蝶しのぶの役目であった。

 MBTIに則れば、胡蝶カナエはすぐにあっちへこっちへ思考が飛び、楽天的な可能性を追い求めるENFP(Ne-Fi-T-Si)であり、胡蝶しのぶは過去の慣習や周囲から最適解を算出するISTJ(Si-Te-F-Ne)だったのだろう。回想に出てくる胡蝶しのぶは常に厳しい顔をしており、胡蝶カナエにそれを諫められいた。

姉をエミュレートする妹

 『鬼滅の刃』という作品の特性上、すぐに肉親が死ぬ。胡蝶カナエもその例外に漏れなかった。胡蝶カナエは鬼も人も平和に暮らすという理想を抱いたまま死んだ。そこから人々が変化するのがこの作品の肝なのだが、胡蝶しのぶの場合は他の人々と違った。

 他の登場人物は元より持っていた特性が良くも悪くも強化される形で変化するのだが、胡蝶しのぶはカナエの態度をエミュレートし始めたのである。内向感覚で内向感情を、外向思考で外向直観をエミュレートしたのである。彼女は怒らなくなり、笑顔は絶えなく、常に穏やかになった。

人を過度に信じないように 
愛さないように期待しないように 
かと言ってが立たないように 
気取らぬように目立たぬように

 

誰一人傷つけぬように 
虐めぬように殺さぬように 
かと言って偽善がバレないように 
威張らないように

 ここの表現が上記の動画は秀逸である。上記の歌詞の動画が流れる部分でしのぶは常に虚ろな表情でいる。そして、この歌詞そのものがしのぶが自身に課した枷そのものである。彼女は姉のように怒らないために、自らの怒りを感じるものにたいして鈍感になるように徹底している。それを数個の表情で表しているのが素晴らしい。

 どんな時も笑って愛嬌振りまくように

  ここの姉妹の表情が素晴らしい。妹は賢明に姉をエミュレートしている。そして、それを強制している姉の表情は虚ろである。当たり前である。この時点でもう姉は故人であり、誰もそれを命令していないのである。ここにおける姉はまさに妹が作り上げた幻影であり、覆顔の給仕(内在化された権力)そのものである。彼女はただ姉が生前に「しのぶちゃんは笑顔がいちばんいい」という言葉を愚直に実行しているだけである。ここに肉親への恋慕という規律訓練の要諦が詰まっている。

自らを毒にして仇を討つ

 サビはそこから一転する。原曲において規律訓練の比喩は報復の準備に取って代わる。歌詞のすべて童磨に差し向けられたものであり、すべてが符合する。そこの美しさが素晴らしい。

2番以降の符合も素晴らしい

 あのコントじみた地獄への道行きを読んだ人は分かるとは思うが、2番以降の歌詞も見事に符合している。Aメロはまさしく童磨そのもの生き様であり、Bメロは胡蝶しのぶの内面に通底するものがある。サビでは再び両者の対峙に戻り、愛憎の象徴だった「F.U.C.K.Y.O.U」は「地獄に堕ちろ」につながる。いやはや美しいかぎりである。

ただ性癖にぶっ刺さっただけ

 まあ、ここまで長々と書いたが、もともと『ビターチョコデコレーション』の曲自体が私の性癖に突き刺さる曲であった。私は幼少の頃から教育というものになじまなかった人間だし、過剰適応も適応もできなかった。ただただ時に悩まされ、時に楽しんだだけであった。成績は優秀であり、素行も優良だったが、根が素直ではなかった。そのような人間だったからこそ、こんな嫌味に教育を描いた曲が肌になじんだだけだろう。

 その曲にたいして、あんな危険な人格を有している胡蝶しのぶというキャラクターを合わせたことに心服しただけなのである。彼女は自ら自分の個性を放棄しにいったのであり、ISTPから見えれば狂気の沙汰としか思えない。しかし、そのような不安定な精神状態だったからこそ、彼女は報復を果たせたのであり、彼女性というものがある。そのような性質を教育という課程を逆解釈することで的確に表現したことが素晴らしいと思うのである。

 ただ個人的にうまく『ビターチョコデコレーション』を歌ったと思えるのは白上フブキであるとここに記したい。絶対、こいつ、教育が嫌いな人間だっただろ。


ビターチョコデコレーション/ 白上フブキ

*1:三大欲求の一つ。残りは睡眠欲と生殖欲。サビで皿の上で苦しそうに眠っているのは偶然なのだろうか。

*2:これはまさしく父母であり、神父であり、精神科医であり、上官であり、教師であり、臨床心理士である。