日々凶日

世の中を疎んでいる人間が世迷言を吐きつづけるブログです

「生きさせろ」は甘い

「生きさせろ」は甘い

私は現在の山本太郎氏をなかなか見所のある政治家として評価している。確固たる財政論及びそこから展開される政策の数々は安倍政権なんかよりも遥かに優れていると断言できる。

しかし、どこか甘い。以前、甘ったる言葉にこそ差別の真相が隠されているという話をしたが、山本太郎氏も同様の罠にかかっている。

確かに、辺野古移転や原発依存は長期的に解消していく必要がある問題である。しかし、実態として、日本は対米依存なくしては存立できないのであり、解消を目指すのは短期的、個別的な課題ではなく、戦後をした甘えた日本社会全体の考え方なのだ。

この甘さが端的に出ている言葉がある。「生きさせろ」である。確かに、現状として社会から切り離されている人々からすれば、これほど蠱惑的な言葉はないが、そもそも人間は何をしなくても勝手に「生きている」。その生き方の質が現代の行政には問われているのである。必然的に世界規模の階級対立にまで話は広がる。言うなれば、私が言いたいのは「生きさせろ」ではなく、「食わせろ。さもなくば、殺すぞ」である。

体面に囚われる大人たち

これは日本の働き方にも通底する話である。私の友人に児童養護施設に働く人がいるが、彼は今、クレーム対応から事務まで一人で押し付けられて、よくうつ状態に陥っている。

私はそんな友人を心配して、「さっさとバックレろ」とか言うが、「子どもたちが」や「実家や自宅がバレている」などと言ってなかなか辞めることがない。退職届を持っていったら、社長はタイ旅行に行っていたそうだ……。

友人にたいして、あえて厳しい言葉を掛けるようだが、そんな奴に義理を立てる必要はあるのか。自分の職務に応じない給与を貰ってるならば、こっちから願い下げにしてやればいい。結局、ここで守りたいのは次の就職先にたいしていい顔をしていたいという「体面」である。

その体面の裏には、奴隷的な労働環境やそれで利得を得ている連中がいる。私は役人としてそういう奴らに補助金が回るのはとても許せないし、そういうコンサルがいるのも知っている。山本太郎氏よ、あなたの敵は自民党ではなく、そういう連中ではなかろうか。あなたは突撃隊を構成して、暴力でそういう奴らを殴って金を巻き上げる務めがある。

所有権という制度

ここまで私が暴力的なのは所有権という思想を本質的に認めていないからである。近代社会は所有権を認めてきており、他人の労働を奪って利得を得ている連中は常々、所有権を盾に利得を保護してきた。

新自由主義者たちの間では、どうやら生まれながらに土地や財産を所有しているという根源的所有権なる思想が主流のようである。しかし、そんなものは書面の上にしか存在せず、書面を焼き捨てたり、勝手に住み着けば所有権など無効化する。それでは社会が持たないので、仕方なく所有権という制度を認めているに過ぎない。

もし、所有権が存在するのであれば、人間の肉とその発現たる暴力のみであり、これにのみ立脚する制度こそが真に根源的なものである。そして、それ以外の制度に依拠するものを所有している人々は、それにたいする敬意を持ち、尊重しなければ、どこかで誰かを殺しつづける実態は変わりようがない。

自分の腕で守れる者は少ない

しかし、自らの腕で守りきれるものはとても少ない。せめて守れるのは、自分の肉と家族くらいである。だからこそ、人間は制度という道具を利用して、自らの周辺を守るのである。これこそが村落、宗教、そして国家の根源である。そこにおいて副次的に生じえたのが所有権なる概念であり、自由主義なる思潮である。

ファシズムならざるファッショ

暴力を全面的に肯定し、肯定するがゆえに国家による団結を重視する。これはまさにファシズムである。しかしながら、ファシズムが重視する「血と土」や「指導者原理」などの甘ったるい幻想は捨て去り、目の前にいる、日本列島にいる民衆による団結を重視する。これこそが私が山本太郎氏に求めるファシズムである。いわば、ファシズムならざるファッショだろうか。