自然に気圧された街
視点の変化
あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風
擬 ひの家屋 の離れ/″\に列んだ――そして甚 大きい建物も見涯 のつかぬ大空に圧しつけられてゐる様な、石狩平原の中央 の都の光景 は、やゝもすると私の目に浮んで来て、優しい伯母かなんぞの様に心を牽引 けるhttps://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/45463_31732.html(『札幌』、石川啄木、2020年8月13日アクセス)
久々に故郷に帰ってきている。私の故地、札幌はその大柄な雰囲気を感じさせぬほどに、新型コロナに怯えきっており、私はしばらくの軟禁生活を余儀なくされた。
今日、珍しく外に出た。外に出た感じたのは、自分の視点の変化であった。
あんなに大きく雄大であった建物は、小さく矮小なものに映り、代わりに周囲を覆うのはどこまでもつづく―余白―である。言い方を変えれば、視野の8割は青空と地上に覆われ、建物はその隅っこにちょこんと存在している。
その瞬間、私は「半分、東京の人間になってしまったんだな」と思ってしまった。
すべてが人工物に覆われた都市、東京
帝国少女/R Sound Design feat.初音ミク-Imperial Girl
もう遣る瀬無い浮かぬ日々も
揺れる摩天楼に抱かれて
ビルにまみえる夜空の星に願いを込める
こんな夜にhttps://w.atwiki.jp/hmiku/pages/36085.html(『帝国少女』、R Sound Design 、2020年8月13日アクセス)
東京という街に自然はない。グリーンガーデンや公園は存在するが、それは武蔵野の自然の文脈に築かれたものではなく、ただただ人間の必要から移植されたものに過ぎない。私の居住しているところの視野が占めているのは、灰色の道路、建物、そして狭い青空である。
しかし、しかし、哀しいことにそれに親しみを覚えはじめている。私は生まれてから20数年、札幌に住み続け、その景色を愛し、そこに殉じるつもりだった。私の肉体は賃労働の代償として、東京に売りつけるつもりだったが、どうやら私はその魂まで売りつけかけているらしい。
根無し草と化していく哀しみ
私はおそらく根無し草(デラシネ)と化しつつある。私を構成していたものは徐々に剥がれ落ち、その代わりに何か私ではないものが浸食していく。カミュの異邦人よろしく、私はいつか「太陽が眩しかったから」で人を殺すようになるのかもしれない。