日々凶日

世の中を疎んでいる人間が世迷言を吐きつづけるブログです

ファム・ファタールと外向感情

ちょっとした趣味

私は昔から性格診断というものに並々ならぬ興味があった。私は昔から人の心が分からぬところがあって、それを理解するための補助具として性格診断に期待を持っていた(高校で哲学に出会うまでは、心理学科に進もうとも考えているほど)。

しかし、どうもしっくりこない。特にMBTI(マイヤーズ・ブリッグスタイプ指標)は、診断結果はブレるし、解説もバーナム効果を狙ったものに思えてならなかった。この指標を如何に合理的なものとして承服するかの話は後に譲るとして、私は今、この指標の合理性を受け入れ、かつ他者の分析によく使わせてもらっている。今回は、その一端をここに書き連ねたいと思う。

ISTPなる性格

まず、その話をする前に、私はMBTIにおいてはISTPに分類される。この結果は認定ユーザー(専門家)とともにワークショップを行った結果であり、自分でも得心のいったものである。

この性格、自分自身よく自覚しているのだが、とても理屈っぽい。主機能が内向思考で、世間一般の人たちが思い浮かぶ規則や合理性で語りたがる外向思考とは一線を画する。自分のなかに人生経験から選びとった理屈があって、それに沿ってないと否が応でも納得できない。

これだけでは生きていけないので、補助機能として外向感覚(Se)が実社会の生活をやってくれている。周囲をよく観察し、色んな情報を取り込む力である。この力が外で動き回ることで、更に私の中の理屈は補完され、どんどん世界は拡充されるといった具合である。

なお、この力は計算力や運動能力などの能力とは異なるものなのでご注意いただきたい。私自身は恥ずかしいほど運動能力はないし、いくら外向思考が発達していても弁護士や裁判官に向いているわけではない。

外向感情という盲点

そして、この理論は面白いことに主機能と真逆の機能が当人とっての盲点であると説明している。

私にとっての盲点は外向感情である。主機能が外向思考の場合は内向感情、外向感覚の場合は内向直観となる。

外向感情、これは他人のあり方に寄り添う力である。周囲の物事によくよく共感し、優しく側に立つ力。言うなれば、レヴィナスの言った女主人の饗応する力。確かにこれはないと得心が行くのである。

ファム・ファタール

ところで、ファム・ファタールという演劇における概念がある。運命の女とか魔性の女とか訳されるもので、自分はその気がなくても強く惹かれ、たいていの場合は自身の滅亡をもたらすような存在のことである。言うなれば、羽虫にとっての集蛾灯のような存在。私にとってのファム・ファタールとはまさしく外向感情が補助機能にある女性である。

外向感情が補助機能にあるということ

外向感情が補助機能にあるということは、他人を思いやり、手を差しのべる力を自分の目的のために活用するということになる。どいうことか。

外向感情が補助機能の場合、たいてい主機能は内向感覚か、内向直観になるので、「自分のなかの経験知、慣習徳(内向感覚)」や「自分のなかのきらりと光る何か(内向直観)」を実現するために、他者を共感的に利用するということになる。

そして、それが不足している人間、つまりは私のような理屈屋さん(ISTP、INTP)がまんまと引っ掛かって、そういうのに利用されるという構図だ。

この構図はまさにファム・ファタールそのものである。

ファム・ファタール=補助機能:外向感情の女性

こうも一般化することをMBTIは薦めてはいないのだが、どうせ誰も読んでいないブログなんだからしてしまったって構わないだろう。

繰り返しになるが、私が言いたいのは(私のような人種にとって)ファム・ファタールとなりうるのは補助機能が外向感情となる女性であるということである。

また、皮肉にも私の愛好する探偵ものでファム・ファタールに引っ掛かる相棒ポジの人物は、理屈屋さんがとても多い(これもそれと対になる探偵たちが外向思考や内向感情をもったのが多いからなのだが……)。

そのため、ファム・ファタールは自ずとそうなりやすいのだ。『八ツ墓村』の森美也子、『姑獲鳥の夏』の久遠寺良子などなど枚挙に暇はない(いちばん極端な例は「次元大介の愛した女はだいたい死ぬ」ってところか)。

現実にもファム・ファタールはいる

しかし、この話を単なる探偵物あるあるで終わらせてはならない。現実にもファム・ファタールはいる。この世界のどの人間にも。

劣等機能が補助機能に来る異性はすべてファム・ファタールなのである。

たまたまファム・ファタールに引っ掛からせると面白いのが理屈屋さん(内向思考が主機能にある人たち)だからそうなるだけであって、本質的にはこのように言い表すことができる。

あなたのファム・ファタールは誰だろうか?